文学少女と理学青年

2012.10.23.Tue.01:00

要望があったので書きおろしてみることにした。

高校のs先輩と僕の話である。


僕と先輩はそれほどでもない進学校の出身だ。
年に東大京大が一人でれば良いほうであろう。

僕の二つ上のs先輩は京大に合格した。
詳しくは知らないがs先輩は優秀だったらしい。

しかし、2年ほど?でs先輩は自主退学、
その後に地方の医学部に入学した。


当時、噂は駆け巡った。
s先輩が鬱? 辞めた? なぜ?





今、自分が京大で2年半過ごしてきて…
理由は痛いほどわかる。



大学に入って実感した。


『「僕たちは、凡人なんですよ。」』

恩師k先生の言葉は未だ生々しく僕の心に響く・・・




「相対的に」。

僕の高校での成績は上位だった。
高校生たちの中を良いペースで走っていると感じていた。



学生と教授との間くらいの差を『同級生に対して』感じる、今は。




院生に交じってゼミをしている人もいれば、
最先端の論文を読んでいる人もいる。

ルールは無い。実力社会。
あぁこの子には敵わない、そう思える後輩もたくさんいる。


もし仮にこの先、研究者を目指すならば、
この人たちと狭い採用枠を掛けて戦っていかねばならない。



自失茫然、戦意喪失。
そうなったって僕は不自然ともなんとも思わない。




そして、「絶対的に」。


時たま出会う現象、

理解、できない。のである。



高校までは問題が解けないからといって、
教科書の内容を理解できていなかったわけでは無い。

もし高校生の自分に言えるのなら言いたい。


おまえの知識、理解はクズだ。



今、わからない。
この言葉を使う時(もちろんその場合もあるが)
技術的にとか、ここのここがとかじゃない。


概念がわからない。

何を言っているのかわからない。


知らないんじゃない。わからない。

でも、授業は進む。
自分が何度読んでもわからない概念が、ものの数秒で板書され消えてゆく。

自分は亀にも負ける勢いなのに、
学ばなければいけないことは山積していく。


ふと言葉が浮かぶ。

才能が無いのではないか?





話は少し変わるが、80分授業なんかしてる場合ではない。
大学の準備と称して僕の高校はそんなものを取り入れていたりもした。

いささか僕の高校は過保護だった。

大学は自由だと聞かされたものの、
自由に講義を選べること程のものだろうと勘違いしていた。



違う。


授業は指針、最低ラインにしか過ぎない。


特に僕の高校はそうだろうが、
「自ら学ぶ」ことを知らな過ぎた。

そして僕自身も安易に大学を志してしまった。
言葉通り「興味本位」で。



そんなこんなで、僕もs先輩も打ちのめされたわけである。

正直、真面目にやるには、プロ野球選手になろう!! オリンピックに出よう!!
そのレベルである。



環境は素晴らしい。でも厳しい。
信念が無ければ、強い何かを持っていなければ乗りきれないと思う。

だからと言ってs先輩に信念が無くて僕には、という訳ではない。


考えてみれば、

再びスタートラインに立ち、医学の道を進むべく
s先輩が後にしたこの世界を、





未だ先の見えぬもやの中を手さぐりで歩いてる僕は、

いかがなものか。
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